ジャーナリストと言う肩書が、嫌になる時があります。あまりのショックで冷静に記事を書く気分ではないのです。書くことが不謹慎にさえ感じます。彼は私が友達と言える、数少ないフラメンコでした。でも、人々に彼のことを伝えなければ、その想い一心で、これを書いています。

フラメンコ・ギタリストのレオ・デ・アウロラ (Leo de Aurora) が、2月17日マドリードで亡くなりました。享年36歳の若さでした。
本名レオニデス・マジャ(Leonides Maya)。フラメンコの名門マジャ一族のギタリスト、フェリペ・マジャを父に、同じくギタリスト、ヘロニモを兄に、1981年マドリードのカニョロトに生まれました。
幼い頃よりギターの類稀なる才能を発揮し、兄とのギターデュオでコンサートを行うのと並行して、近年は自身のアルバムも発表し、ソリストとしての才能を世界に知らしめた矢先でした。

私は20年前から彼、そして彼のお兄さんヘロニモと仕事をする機会に恵まれ、アルバムやコンサートを企画し、マネージャーとして演奏旅行に同行する事も多々ありました。
今でもまだ信じられない想いです。全く現実味を帯びていません。でも、私が撮った彼の写真の何枚かが、この悲報と共にSNSやフラメンコサイトの記事に使われているのを見ると、涙しか出てきません。
ギターはもちろんですが、歌や踊りもとても上手くて、部屋の外から歌声が聞こえると、CDがかかっているのかと勘違いする程上手でした。

私はもうコンサートの仕事はしていないので、最後に私が彼と話したのは、確か半年ほど前、電話でした。でも彼が飼っていたウサギは、もう6年以上うちにいて、私がお世話しています。彼の奥様が妊娠中、動物が家にいると良くないからということで、うちであづかって、そのまま居着いてしまった子でした。彼らはヘラクレスと呼んでたんですけど、私はガンジーと改名したんですよ。ガンジーを見ていると、ご家族の気持ちを想い、胸が張り裂けそうです。
ここに、丁度一年前の2017年3月4日に私が撮った動画があります。これをもって、彼への追悼とさせていただきます。
レオ・デ・アウロラの輝きは永遠に消えることはありません。