文/東 敬子(フラメンコ、スペイン文化ライター)Text: Keiko Higashi
闘牛は、人が牛を殺す獰猛なショー? しかしアメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899 – 1961) は、「闘牛はアーティストが死の危険を犯して生み出す唯一のアート」と言い、愛して止まなかった。

スペイン以外でもフランスやポルトガル、ほかラテンアメリカなど、闘牛を行う国は沢山ある。そして一口に闘牛と言っても様々なスタイルがあり、お祭りで庶民が牛と一緒に走ったり、牛を傷つけることなく、ただ操るだけの度胸試し的なものもある。
しかしスペインでは、闘牛士が最後に牛を仕留める事で、この「儀式」を終える。これをスペイン人はタウロマキア (tauromaquia) と呼ぶ。
牛がリンクに入場したら、闘牛士の助手たちがピンクのカポーテ(ケープ)を振り、牛の反応を見る。次に馬に乗った槍士、続いて銛士が牛を槍で突き弱らせると同時に、闘争心を搔き立てて行く。そしてついに主役の闘牛士が登場し、赤いムレータ(赤い布) を振り、突撃してくる牛をすれすれでかわす演技を見せ、最後に牛の肩甲骨のわずか5センチの急所に一瞬のうちに剣を刺し、牛が倒れたところで終了する。
これはまさに、残酷この上ない“アトラクション”である。そしてもちろん危険極まりない。460キロ以上の興奮した牛を相手にするのだ。大事故になって人が死ぬ場合もある。そのため闘牛場内には教会があり、神はそこで、壮絶な死闘の結末を静かに見守っている。

では人はなぜ、こんな残酷な行為に惹かれるのか。
なぜなら、愛好家たちが「生と死のアート」と言ってはばからない闘牛において、人がそこで戦う相手は実は獰猛な牛ではなく、自分の中の死への恐怖だからだ。
闘牛士の目に宿るのは、勇敢さを誇示する様な、アドレナリン爆発のランボーみたいな激しさではなく、今から切腹する武士の、切迫した覚悟だ。美しく戦う、それが闘牛士の本意。だからだろうか、日本人の闘牛ファンは多い。
闘牛は、舞踊でも良く表現される。フラメンコではファルーカという曲種で、闘牛士の悲哀を。そして社交ダンスではパソ・ドブレで、男性が闘牛士、女性が彼が振るケープとなり、情熱の踊りを見せる。

近年では動物愛護団体の批判を受け、スペイン国内でも1991年にカナリア諸島、そして2012年からはカタルーニャ州で闘牛が禁止された。
だが一方で、その人気は根強く、スペインの国技として一度は生で体験してみたいと、開催期間中には、世界中の国々から人々が集まってくる。